この新聞で毎月20日に、母親向けの綴じ込み新聞があります。
その名も「朝日おかあさん新聞」。
そのまんまやないか、という関西風突っ込みが聞こえてきそうですが、
ネーミングは、わかりやすく、が鉄則だそうです、広告業界の身内によると。
話を本題に。
記事のなかに、心惹かれる記事がありました。
小さなコラムですが。
「おやじの眼」というコラム。
安原典克氏(フリーの家庭教師でありASACOMの編集責任者。1954年生まれ)が書かれているコラム。
小さなコラムですが、いつも私が気になっていたことを書いていました。
筆者は、携帯電話をもたないそうです。
で、それを変人扱いされるそうで困っている様子。
便利だとは思うが、問題が「便利」あるいは「お手軽さ」に潜んでいるといいます。
待ち合わせのときの話。
待ち合わせより30分前に約束の場所で待っている。1時間ほど遅れてやっとあらわれた知人が、「どうして携帯を持っていないのか、待ち合わせの時間の変更をしようにも連絡がつかない」と難詰する、のだそうです。
遅れたことに対する謝罪がないんだそうです。
家庭教師の仕事で時間通り行ったお宅がルスで一時間待って、あきらめて帰った翌日のこと。
いつもは帰宅のおそいその家の父親がたまたま早く帰ったので家族で食事にいくことにしたのだと。連絡がつかなかったから、そのままでかけ、「先生も携帯ぐらいもってくださいよ」と笑われたそうです。
彼は最後に、「便利さと引き換えに『約束』がずいぶん軽んじられる世の中になってきたようにおもえてならない。言葉の力が衰弱している」とむすんでいました。
言葉の力が衰弱しているかどうかは、私は専門家じゃないからわからないけれど、確かに、「計画性」や「約束の守り方」「人としての優先順位」という部分に、疑問を感じるように思うのは確か。
かくいう私も携帯電話がないと、非常に困る仕事をしています。
また、働く主婦としては、帰ってからの家事の効率アップのために、息子に電話して「牛乳ある?たまごある?」なんて確認して帰路に買い物を済ませることができる、それも、買い物しながら、なんていう芸当がこなせるので、非常に助かっているのも事実。
そして、遠隔操作。
仕事が押して帰れないときに、
息子に定期的に電話して、受験勉強の指示をださなくては
いけません。
そう、小学生は、あきるのが早いけれど、
ママの「がんばってるね、えらいね」という言葉にも、弱く
がんばっちゃうのです。
そんなに便利に使いこなしながらも
生活の中で使うには、
携帯電話をもつようになってから、「とりあえず」という言葉を使うことが増えたようにおもうのは、気のせいでしょうか。
待ち合わせも「とりあえず、大体そのぐらいの時間に行ってるから、向こうについたら、メール(電話)してね」とか。
雨だったら、とか、寒くて相手を待たせてしまったら、とか、
その時間は混むから、とか、
車の渋滞に巻き込まれない時間帯なら何時がいいのか、とか
まったく考えない、行き当たりばったり。
相手を束縛しない、自分も期待しない。
そんなゆるーい関係が見て取れます。
その場その場で、対応する、思いつきで行動する。
昔(いえ、そんな大昔ではないけれど)も、そういう友達も
数人いましたが、彼女ら(彼ら)の存在と行動は、
一種のスパイス的なものでした。
日常は、緩やかに流れ、約束、という、相手への思いやりと
自分の生活の組み立てと、ちょっとしたストーリーを携えた
「余白」のある生活をしていたような気がします。
予測をたて、行動する。
相手のことをおもいやり、想像し行動する。
あらゆる場面を想定して準備をする。
そういった能力がぬけおちてしまっているような気がするので、
ことがおきてからあわてるいつも忙しい人間たちばかりを
うんでいるような、気がしています。
また、メールだけでやりとりするために、相手のその場の反応を見ることがない。
相手との距離感を測る訓練が抜け落ちてしまう。失敗も少ない。
「相手との距離感がむずかしい」と今の若い人はよくいうそうです。
便利になったはずなのに、時間がなくて、心に余裕がない。
人の心を推し量れない。
さっきのコラムの記事でいえば、
相手様は、自分の事情優先。
筆者のことを推し量ることがすっかり抜け落ちている。
自分の欲が優先、とまではいえないけれど、
以前だったら、信じられない!と人格を疑われかねない行動だと思います。
それを生み出しているのは、時間を大切に使わず
相手を思いやる訓練を積み重ねることを失った、
「お手軽さ」だけを追求した毎日をおくっているからかもしれません。
ありがたいことに、
アナログ世代を引きずっている昭和どっぷりの私は、
便利さは、大事にしますが、
やっぱり、面と向かって話すのが一番。
人との距離感も、失敗を重ねて、ちょうどいい具合に、、、
なってるはずなんですけれど。
さて、どうでしょうね・・・。
そういえば、夫がよくいっています。
最近は、想像力がない人が増えた、ちょっと考えればわかることなのに・・・と。
想像はアートです。
どんな仕事だって、アーティスティックなセンスがあれば、
もっと働きやすく、もっと幅のひろい仕事に発展するはず。
それには、学歴や専門的知識以前に、
相手を思いやる気持ちや想像力が、一番大切、と
思うのは、
昭和のおばさんの、愚痴かしら?
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本当に色々と考えさせられることが多いですね。
そういう私も、日常では便利に使わせてもらって
いる人ですけど(苦笑)
電車に乗ってる時や駅のホームで、向こう側に
いる殆どの人が携帯を触っていたりする風景を
見ると、こわっ!と思ってしまうことがあります。
携帯に依存している人の、何と多いことでしょうね。
携帯があれば待つことも待たせることも平気、
約束を変更することも、ひとりでいることも
平気な人が増えてきました。
相手の気持ちを思い測ったり、目の前にいない人を
想像したりする、そんな大切なことが乏しくなって
いくような気がしますね。
便利さ、について最近おもうのですが、
それまでにしていた行為の何かを「はしょる」ことですよね。
合理的ではあるのですが、省略した行為の中に
「さじ加減」があって、
それが、
相手を思いやる気持ちであったり、
相手を推し量る気持ちであったり、
お天気を気にすることであったり、
もって行くものや服装に配慮することであったり、っていうことだったりするかもしれません。
それをわずらわしいととるか、
心豊かに生きることととるかは
生きている時代とその人の感性によりますが。
sonoさんは、心豊かに日々を暮らしておられることがブログから伺えます。
また、私の五感を刺激してくださいね!